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大阪→横浜 廻航 約350マイル

平成25年10月6日(日曜)~10月14日(月曜)

10月6日 07:50 大阪田尻港 出港            6日天気図

 台風23号が沖縄の南にあり、転向点に達しない前に出航準備も早々に田尻港を出港することにする。出航後、ベタ凪にて1時間ほど漂う。潮流でスカイゲートブリッジ付近まで逆方向へ流される。9時過ぎから真向かいの微風を捉え、まぎって走るも関空の南西側を交わしたのが昼過ぎ。その後、西寄りに風がシフトすると共に5~6m/sec程度に強まり友ヶ島へ直進する。結局、エンジンを使用し南流の加太瀬戸を15:30通過し、紀伊水道に入る。
 
 夕方以降風は南西に振れ、からくもクローズにて帆走。日付が変わる頃には風は止り紀伊水道を漂うもうねりに翻弄される。本船が行き交うが、開き直りキャビンで仮眠を取る。暁光と共に船位の確認をすると和歌山県田辺港の北西側であることが判明し、このままでは距離を稼げず台風23号を避けられないと判断し、田辺港へ入港することにする。

田辺港沖で時間調整し、08:30「たなべシータイガー海の駅」へ携帯で連絡をとると既に台風対策済みで入港できないとのこと。田辺入港を断念するか、または投錨で台風をやり過ごすか等も考えたが、田辺湾の奥に「うちのうら海の駅」があることは記憶にあったので、冊子で確認し、連絡するとポンツーンが空いているとのこと。よって、7日10:30「うちのうら海の駅」に入港する。すばらしい天然の良港である。

10月7日~10月9日        7日天気図 8日天気図 9日天気図

 「うちのうら海の駅」にて台風避難

ビデオ  ビデオ2
9日11:00  9日15:00
※ビデオの音声で台風24号と言っておりますが、23号です。

10月10日 06:00 うちのうら海の駅 出港     12日天気図

 台風23号は過ぎ秋の気配でも感じるかと思いきや依然として真夏の天気で凪状態。南方海上には台風になりそうな熱低や低圧部も次々と発生しているし、海陸風も日が昇るに従い予想出来そうだが、取りあえず行ける所まで行こうと思い、エンジンを使用することにする。エンジンに付いては思っていたよりしっかりしており、予備タンクも含め約30㍑のガソリンで13時間前後は走れるだろうと6日と7日の使用状況から予測出来たので、思いっきり使用することにした。

その後、南東のブリーズがやはり吹き出しセーリングは快調。しかし、真向かいにてまぎって進む。14時過ぎには潮岬の西5マイル地点。潮岬を交わす頃には風は南よりにシフトしたため、この際この風を利用し、一気に下田へ向うことにする。更に黒潮に多少でも乗れればと思い、本船航路の南側に出る。

夜になり一度凪になるも低い雲が垂れ込めはじめ気温も下がり雨の予感。直後に海面を叩く様な激しい雨、差し板を入れていなかったため横なぐりの風と共にかなりの雨が船内にも侵入。その後、雨はやむも南南西の風は強まりクォーターからランニング気味のセーリングとなる。その時点でリーフの機会を逃す。恐らく日付が変わる頃からかと思うが、オートパイロットではヘルムが安定せず11日の強烈な太陽が高くなるまでかなりの時間ティラーを握り続ける。

 昼頃になり多少風が落ちたためリーフをする。ストームと1ポイントリーフにしようとも思ったが、寒冷前線が近づいているためスピードは落としたくないと考え、レギュラーと1ポイントリーフに止める。

 実はメインの2ポイントリーフも考えたが、ブーム内を通るリーフロープがキンク(下田出港時のビデオに映っている)していて、2ポイントにしようにも出来なかったのである。また、潮岬沖で、延びたサイドスティーを締め直したり、この後に記すが、ティラーのナットが外れたり、また、船尾等が点かず懐中電灯で夜間航行したこと等...ヨットメーカーの艤装のあり方に当然として疑問が残る。当該ヨットのセールスポイントはシングルハンドでの外洋航行が可能とのことで、実際その通りだと私も思うが、艤装をするスタッフの方々に外洋航行という意識はあるのであろうか。当然、出航前のチューニングに時間を割けなかった自身に一番の責任はある。

 この日はリーフしたせいで船も安定し、オートパイロットも使用でき、また、距離も稼げる。この日の21:30には石廊崎の南西30マイルまで進む。丁度この時、携帯の電波が繋がり31時間振りにスタッフへ連絡が取れる。このまま行けば下田には03~04時頃には入港することが出来る。

 そして12日に日付が変わり、神子元の光芒を捉える。02時以降神子元が近づくにしたがい潮流の影響かと思うが、受ける波が一定せず、また、ランニングに近いような状態も相まって不定期な揺れが続く。この時点でオートパイロットでは安定せずティラーを握る機会が増えるが、どうしても入港の為の船位と水路誌の確認が必要となり、操船に集中出来ず、とうとうブームパンチを受ける。その時に付けていたヘッドライトが飛ばされため懐中電灯の使用を余儀なくされる。当たった頭の痛さより、ヘッドライトが使用できない不自由さの方が痛い。その後ももう一度ブームパンチを頭に受ける。

 ※ヘッドライトがあれば下田入港もかなりスムースに運んだと思う。

 ※ブームパンチには身構えていたが、思ったよりブームが下がって来たようで、トッピングリフトの調整で対処予定

 その後、神子元の燈光とその沖を通る何隻もの本船の灯火もハッキリ確認が出来るようになり、下田に入ることに迷いが生じる。本船航路と更にその先の内航船の航路を横切る前に、セールダウンをする必要があると考え、夜間荒れぎみの海面でのセールダウンは難儀だし、ハーネスを付けているとは言っても落水の危険もあり、いっそ大島の波浮港か三浦三崎港まで走り続けようかとも思ったが、風が悪く、セールダウンを決行することにする。

 その時、極小さい金属音がしてスターンから何かが海に落ちた。よく見るとティラーと舵の接合部のナットが取れていることが判明。換えのナットがあるわけではないし、その場で対応などもちろん出来ず、そのまま注意して扱うことで、自分自身を納得させる。また、力が掛かっていれば長いボルトまで抜け落ちる事はないのではないかと思った次第。

 ※ティラーと舵の接合部の構造についてはヨットメーカーに再考をお願いしたいと思います。(ナットは、下田入港後にホームセンターで購入)

 シケ気味で、且つ夜間の入港は常に危険な事は承知だが、エンジンを始動し、デッキにはいずくばりながらもセールは無事下ろすことが出来た。海水で濡れ濡つ水路誌を確認しながら、下田港周辺の灯台の灯質を慎重に見極め、確信の下に湾口まで至るが、巨大な構造物が突如として暗闇の中に現れる。自分としては何がなんだか解らずパニック状態である。自船は何処にいるのか、今までの確信が覆ってしまう。冷静に心を落ち着かせ、構造物沿いを右に転じると構造物の間に航路らしき空間が見え、勇気を奮いそこを抜けると目指す灯火が見えた。実はこの構造物は建造中の下田湾口防波堤で、水路誌にもチャートにも詳細な記載がなく、私も事情を把握していなかったという事です。

 今度はその直後、作業船から目が眩む様な強烈なライトを当てられ、これも非常に困惑したが、結局、曳航物の存在を知らしめるためのものであることが判明し、無事曳航物を回避して、12日04時30鵜島桟橋に接岸する。
下田港の日の出

ビデオ  ビデオ2 ビデオ3 ビデオ4 ビデオ5 ビデオ6 ビデオ7
10日05:36  10日07:36   10日14:43   11日11:03   11日14:23   11日16:40   12日05:16
※ビデオ5の音声で2ポンと言っている様ですが、メインセールは1ポイントリーフです。
※ビデオ6の音声で下田入港を午前中と言っておりますが、未明から明け方に掛けてです。
※ビデオ7は下田入港直後で、2昼夜不眠不休で動いておりましたので、疲労困憊で放心状態です。

10月13日 05:30 下田港 出港             13日天気図

 昨日までの真夏の天気から一転して秋の気配。向いに近い風で、また、仕事の都合上、機帆走。三浦三崎港15:00入港

ビデオ 
13日05:59

10月14日 05:50 三浦三崎港 出港

 機帆走 横浜ベイサイドマリーナ11:00入港

ビデオ
14日11:14

廻航ビデオ

今回の廻航は、前半の下田までの真夏の様な過酷な暑さ・凪・うねり・激しい雨、そして湿気を含んだ南よりの重たい風の中、緊張感が最高潮に達した下田入港までが、この廻航の総てかと思っています。廻航中は、台風23号や寒冷前線などに追いかけられ、また常に南方海上の熱帯低気圧や低圧部を意識せざるを得ない航海でした。ベイサイドマリーナ入港から二日後の16日、伊豆大島をカテゴリー4の大型で強い台風26号(ウィパー)が襲い、痛ましい被害をもたらしました。

廻航後約1週間が過ぎ、体のあちこちの痣や細かい傷も大夫癒えてきました。手のひらや指の腫れも引いて、顔のどす黒さも普通の日焼け顔に戻りつつあります。

体力的にはまだやれそうですが、しかし、過信することなく次の機会を窺いたいと思います。色々と心配を掛けた弊社スタッフに感謝致します。

平成25年10月21日
丸山亮一

P.S
 11月4日にトラック諸島沖で発生したカテゴリー5のスーパー台風30号(ハイエン)が、11月8日にフィリピン中部に上陸し、津波のような高潮を発生させ、現地に甚大な被害をもたらしました。中心気圧が895ヘクトパスカルに達し、なんと最大瞬間風速が105㍍と言われております。廻航中に体感した異様な天候は、赤道付近から日本列島周辺まで覆いつくしていたのかもしれません。人知を超えた世界に畏敬の念さえ覚えます。2013年は31個の台風が発生しており、これは1994年以来19年ぶりのことである。

 因みにスーパー台風とは、台風の強さを表す階級の一つで、米軍合同台風警報センター による階級の中で最も強い区分に該当し、日本の気象庁で言うところの猛烈な台風に当たります。