6月1日 05:30 田辺シータイガー 出港 田辺沖
張り出している高気圧の動きが遅く今日も 完全なる凪 である。日差しが朝から肌に突き刺さる。日差しから逃げるすべがない。覚悟し、揺れ防止と日影を確保すべくメインセールを張り、エンジンをフルで使用することにする。取りあえず風が吹かなくとも潮岬を超え熊野灘に入り、那智勝浦には行けるだろうと思う。
潮岬の手前から風が東寄りにシフトし、ジブも張れるようになる。この海域はまさに黒潮の海で、マリアナからフィリピン・台湾、そして沖縄を通過し、この海域に至が、まさにここは南洋そのものである。いつもそうだが私自身こころ踊る思いがある。
潮岬だが、近づくと波頭が岬の先端から沖に延びており、陸寄りに近づきすぎて浅瀬かと一瞬勘違いしたが、黒潮の影響のものであり、由良瀬戸通過と相反して、船速が対地速度で9ノットを超える。紀伊大島などまるで新幹線にでも乗っているような感じで通過してしまった。
熊野灘に入り、やはり午後から海陸風が強まり、一時エンジン併用でセールを上げる事ができたが、焼け石に水である。その後の長丁場を考えれば 那智勝浦 でガソリン補給は必須である。那智勝浦も海の駅であり、受け入れ体制は整っているはずである。
連絡を入れると、担当者の方の携帯へ繋がった。その日は海の駅は休日で、転送にしていた様です。ちょうど担当者の方も釣りに出ているとのことで、本船を視認できるとのことでした。結果、入港OKの確認も出来、ガソリンの手配までして頂いた。なんと有り難いことか、お名前はお聞きしませんでしたが、その時のご対応に感謝申し上げます。15:00入港。
船の片付けとガソリンの補給が終わり、この港から目と鼻の先の紀伊本線の那智駅に隣接する温泉 丹敷の湯 に浸かった後、タクシーで紀伊勝浦港へ向い、食事を取る。この港も三浦三崎と同様にマグロの町であり、観光化している。実際入った店には台湾人かと思われるカップルと欧米系の人もいて繁盛はしていたが、期待したほどではなく、マグロの内臓の生姜煮・血合いのフライ・マグロの漬け丼をいただくが、漬け丼は漬かっておらず、"味が薄かったら醤油をかけて"
とのこと。要するに御飯の上に生のめばちマグロを乗せたままといったところである。まあ、量が多かったので良しとしておこう。
港には19トン型の 延縄漁船 が岸壁を占めていた。乗組員は6人ほどで、船頭・船長・機関長以外はインドネシアの若者らしい。漁場は小笠原南方で、1航海1ヶ月以内程度とのことだが、私にもその過酷さが想像できる。しかしながら金銭の他にも堪え忍んだ者だけが得られる喜びというものがあろう。頑張ってね !!
以前、井上靖の小説で補陀落渡海記という短編を読んだことがある。内容は、中世の補陀落信仰を題材にしており、その信仰の中心になった寺が那智駅の北側に補陀落山寺として現存する。その住職金光坊が61才になった年に現世の生を棄て、観音浄土に生まれ変わろうという物語で、ここ浜ノ宮あたりの海岸から小舟に乗り組み遙か南方にあるという補陀落浄土を目指し、船出するという物語である。その内容は強く記憶に残っている。いずれ私自身も浄土には行く予定だが、今暫くは小型ヨットパンタレイで補陀落渡海を実践することが無いようにと願いたい。
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