|
1820年10月20日、陸地から2500㌔離れた 南太平洋 で、若き28歳のジョージ・ポラード船長率いるナンタケットの捕鯨帆船 ESSEX号 が28mにも及ぶ巨大な一頭のマッコウクジラに衝突され、沈没する。
乗組員28名のうち、三艘の ボート に乗り、一群の鯨を追跡していて帰る母船を失くした20名の乗員は、人食い人種を恐れ、近い南太平洋の島々には向かわずに、5000㌔離れた南米大陸に向かうことになる。だが、皮肉にも亡くなった仲間を食うという事態にさえなったのである。
1821年2月23日、チリ沖でジムライ・コフィン船長指揮する同じナンタケットの捕鯨船ドルフィン号に偶然救助されたのは、ポラードとチェイスを含む8人である。(記載の映画では、イギリスの商船「帆船」に救助されたとする)
この実話は「白鯨との闘い」(邦題タイトル)として、2015年に映画化されている。手元にそのビデオがあるが、著作権の問題もあり、スクリーショット にしておく。
生き残った一等航海士のオウエン・チェイス(1796-1869)からハーマン・メルビルは直接、その壮絶な話を聞き、小説「白鯨」を執筆する。その小説「岩波書店発行(訳:八木敏雄)」の第四五章「宣誓供述書」の中でマッコウ鯨の習性についてきわめて興味津々にして意外千万な事実として、エセックス号事件にも触れている。
小説「白鯨」のピークオット号はミズンマストがスパンカーのバーク型帆船(帆16枚)で、ESSEX号(帆12枚)も同様である。因みに現在もアメリカのミスチック・シーポート海洋博物館に保管されている チャールズ・W・モーガン号 (帆16枚)もシップ型から艤装変更されたバーク型捕鯨帆船である。
そのESSEX号(1/60.SCALE)を 捕鯨ボートに続き、作成中..
|
作製状況 |
|
R7.2.28 |
ESSEX号のキット |
R7.3.13 |
仕事も一区切りつき模型作りに取り掛かれそう |
R7.3.21 |
チーク風デッキをフレームに取付け |
R7.3.23 |
梱包されていたミシン縫いの味気ないスクェアセールやステイースル(全12枚)にボルトロープやリーフ・ポイント、各クリングルを取り付けるつもり、これには数か月を要しそう |
R7.3.28 |
外板を張る前工程のライムの板張り |
R7.3.30 |
横帆1枚完成、後11枚 *帆には裏表があり、横帆は船首側が表、縦帆は右舷側が表、ボルトロープは裏側に付ける |
R7.4.5 |
ライムの板張り完了! 板厚で凹凸は必至、パテやサンドペーパーで調整 |
R7.4.10 |
サペリの外板張り付け中 |
R7.4.16 |
外板張り付け完了! |
R7.4.28 |
まだまだ先は長い |
R7.5.8 |
デッキ全周にブルワークの取り付け完了! 梱包されていたステイースル(縦帆)3枚が裏表逆のものだったので、インド綿の裁断から始て作り直している。右拠りのロープを左巻きにコイルしてあったり、必ずしも
Marlinspike Seamanship に則ったものではないようだ。少しモチベーションが下がる。 |