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2025/8/21 |
索具(動索・静索) |
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帆船が帆船たる所以は、帆を制御調整する索具に有ると思う。動索だけでも数十㌔にも及ぶそのロープ1本1本を統制支配するのが大航海時代の優れた帆船乗り達であった。
今般私が作製した 帆船模型ESSEX号 は、大航海時代の熟練した帆船乗りからは、その艤装、少し違うと指摘もされそうだが.. 昔、縦帆船に乗っていた私にも理解不能な箇所が数多くある。ただ、この船で一航海でも行ってくれば理に敵った艤装が完成するのであるが、模型だからそれも出来ない..
また、この模型のマニュアル自体も意図的にと思うが特にリギン部分は不明瞭な箇所が多々あり、そこは適当に工夫せい.. という事だと思うし、そのへんが帆船模型の面白さであると言えるかも知れない⁉
因みに世界最大の横帆船 プロイセン号 は、総帆面積が15,000平方メートルにもなり、その帆を操作するには、40,000メートル以上の動索を必要としたらしい。その索具は決して無差別に配置されているのではなく、すべてのロープが定められた目的に従って秩序を以て配列されている。熟練した昔の帆船乗りは、どんな船に乗ってもその展帆装置を見ただけでその操作を理解し、しかも暗夜であっても必要な動索を探り当てる事ができるのが、本当の帆船乗りであるとされた。 |
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2025/8/11 |
見と観 |
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小林秀雄の「私の人生観」をまた読んでいて、宮本武蔵が君主、細川忠利宛に書いた目附之事という覚書のところまで来た。みることには「見」と「観」の二種類があるそうだ。(詳しくは宮本武蔵「五輪書」を..)
大航海時代のまだ海図もなく未知の海域を命がけで帆走するとき、例えば夜間、環礁や暗礁・暗岩等を避けるには、風や波の音、漂う匂いにも全神経を研ぎ澄ませた。現代の船乗り達には未発達の研ぎ澄まされた全身の五感に第六感を加えた「直観」がその頃の帆船乗りには備わっていたのだろうと思っている。
これは宮本武蔵が謂うところの「観」であると思う。日本にも「観天望気」という古来より漁師、船員などが経験的に体得し使ってきた自然現象や生物の行動の様子などから天気の変化を予測することが各地に根付いている。これも「観」の類であろう。
現今、気象庁が提供した数値予報資料をもとに気象予報士のお姉さまやお兄さま達がメディアに登場し、今日や明日の天気を解説していて、台風はどうのこうの..海上は大しけ..強風が吹く..
と、したり顔で申しているが、これは空調の効いた安全なオフィスで、数値を基に解説しているだけで、お姉さまやお兄さま達には、50mの風がどれほどのものかの実体験は無いのである。これは「見」であると謂うべきか。もっとも「観」である必要はないのである。否定しているのではなく、高い確率で予報は当たる。
私のこれまでの幾つかの航海を振り返れば、今こうしているのもその直観のお陰と思っているし、それを自負もしている。 |
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2025/7/21 |
中国人ウェイトレス |
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更なる面白い出来事を思い出した。4~5年前、弊社の経理と久々に中華街のランチを食べることになり、南門(朱雀門)からシルクロード通りに入ると右手側に中華店が並んでいるが、中国の絶滅危惧種で愛らしいクマのような外見の動物の名をとった店がある。中華料理店として似つかわしくない名の店だが過去に幾度か来て、可もなく不可もなくといったところだったので、久々に入ることにした。
先に申しておくが、店の造作や店名は一切変わらずオーナーが変わっていた様だ。現在もそのオーナーなのかは分からない。
店に入り、オーナーが変わったといっても、ランチメニューの種類や金額も前とそう変わらない。そこで二人して600円のマーボー豆腐ランチを注文したところ、対応した中国人ウェイトレス(30歳前後かな..)が、それ「辛いよ..」と強い口調で言ってきた。
マーボー豆腐なので辛いのは承知の上で注文したのだが、さらに「辛いよ..」と食って掛る尋常ならざる態度である。店のメニューでもあるし、それを否定しているようなものでもある。二人ともあっけにとられ、言葉も出ず、後はそのお姉さまの独壇場である。結局、マーボー豆腐ランチから1000円程度のものに変更したのである。二人とも怒ることもなく、ただ笑い合うしかなかった。
想像するとこういう事だろうと思う。その中国人お姉さまは雇われの身で、且つ歩合制.. 売上額で報酬が決まると考えれば納得がゆく。日本には 「商は牛のよだれ」
ということわざがある。細く長くと言うことである。乱暴でその場限りの対応をしていたなら日本では商売は成り立たない。当然、私たちも二度とその店には入らないし、その時の中国人お姉さまももうその店には居ないであろうし、その店も現在、外から見る限り、そう繁盛しているとは思えない。400円の上乗せで、日本ではありえない面白いことを見せて頂きました。
まだまだ中華街に関しては記載したい事は尽きないが、一旦お終いにする。
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2025/7/20 |
韓国人客対中国人ウェイトレス |
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昨日、中華街に関する投稿をしたが、10数年前になるが中華街の店舗で出くわした面白い出来事を思い出したので、昨日に引き続き投稿する。
その頃はまだ中華街のランチを食べ歩いていた時である。当時、たかだか500~600円程度だが、店により、内容はピンキリであって、その中でも広東料理店として、中華街で数店舗を構える漢数字が並んだ店名のお店のランチが味・量共に充実していて、これで600円で良いのと思うほどの店であった。
その時は、善隣門近くの店に入り、4人掛けの丸テーブルに座り、注文した料理を一人で待っていた時である。すると明らかに日本人でもない中国人でもない国の家族と思われる3人(40代夫婦と10歳程度の男児)が斜め向かいの丸テーブルに腰を下ろした。私は、恐らく韓国人家族だろうと直感的に思った。
儒教の影響が色濃く残る韓国では、父親は絶対! 家族は家長に従う! と謂われる事を私も知っていたが、日本なら恐らく嫁や息子にどれを注文するか聞くと思うが、その時は注文は親父が一人で決めていて、父親の威厳が感じられた。また、嫁や息子は一切言葉を発せず父親任せであった。それは異国で食事をする緊張感から来るものか、そもそも家族の会話は元々無いのか私には分からないが、食事を楽しむ微笑ましい家族というには程遠かった。
私には、父親が威厳を保ち続けたいといった心の内が透けて見えたように思え、なんと韓国の家庭は気が張り疲れそうで、滑稽にも思えたと記憶する。このこと自体だけでも話題にできることだけれども注文の料理が運ばれてきて、更に..
韓国人の父親が注文したものは恐らく5~6点あるランチメニューから人数分の3点を注文したのだろうと思うが、先に2点がテーブルに運ばれて来た。その店のランチの場合、先にも記載したが量が多く、ライスも別におひつでも来る。
暫く料理を見ていた韓国人父親が、中国人ウェイトレス呼び、何か言い出した。お互い手振り身振りも入れた片言の日本語である。面白い.. 恐らく父親は来た料理の量を見て、3人で食べるなら先に来た2点で十分と思ったのであろう?
そして恐らく、中国人ウェイトレスへ3点目をキャンセルすると言い、中国人ウェイトレスはキャンセルは出来ないと、互いの押問答が続いていたのである。
威厳を保つ父親が言葉に出した以上、ひっこめることもできず、中国人のウェイトレスも簡単には引けない。ましてや中国人であるし、自身に非があっても絶対に
謝らない! 譲らない! のが中国人。ましてや今回、中国人のウェイトレスにはまったく非はない。譲るわけもない。店もキャンセルは受け入れないであろう。
私はランチを食べ終え、オフィスに来客もあるので、店を出て、ことの顛末がどうなったかまで見届けなかったが、面白いものを見せて頂いた。
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2025/7/19 |
元町商店街と中華街 |
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私のオフィスは元町にあり、公共交通機関を利用し通勤するときには元町商店街を通る。一方、家からウオーキング通勤する場合には、中華街の北門(玄武門)辺りから中華街を抜け、堀川を渡りオフィスに到着する。どちらにしても私が通るのは、丁度時間帯からして双方、開店準備中の時間帯である。
華僑や中国本土、香港人、台湾人などが経営するお店がほとんどと言われる中華街と、ほぼ日本人が経営する元町商店街双方の開店するまでの朝の様子の違いについて記載する。
元町商店街であるが、まず店員や経営者が開店前にすることは、店舗前の路上清掃である。落ちているゴミがあれば拾い(あまり落ちていないが..)、水を撒き、デッキブラシまで使用して清掃する。ただ、決して隣の店舗との境界を大幅に越えての清掃はしないようである。そこには隣同士の不文律だろう。これは元町だけの事ではなく、日本なら何処へ行こうが同様であろう。元町はこの時期は夕方になると打ち水もする。
中華街だが、昔に比べれば随分とましになったものの元町に比べればゴミが多く店の前に散乱していても、特に小籠包や肉まんといった飲茶などを売る店は、仕込みを優先させる。ゴミが散乱しいても気にならないのが中華文化だと思う。
たかだかゴミの事だが、私には、日本文化と中華文化とには大きな違いがあるように感ずる。
加えて言う。中華街には中華店や居住する中国人を対象とする雑貨店(野菜・香辛料など)があるが、歩道に段ボールを積み上げ、歩道にゴミが散乱し、歩道が汚れでくすみ、おまけに特に香辛料が元と思うが、くさいのである。丁度北門(玄武門)から中華街に入り暫くすると4~5軒の店があって、その辺は中華街で一番汚い、私はいつも足早に通り過ぎる。
臭い、汚い、人が群れていてしかもうるさい(中国人は怒鳴りあう様な会話).. まぁ中華街の中だけに留めて頂きたいものである。心の底から切に願う。
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2025/6/9 |
意外といける |
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昨日8日、船に行く。前回、オーニングを変えたが、ソーラーパネルも覆ってしまった事に気が付き、バッテリー充電に支障が出ていないか心配であった。やはり二つのバッテリーのうち古い方は充電量が落ちていたので、対処した。
仕事が少し慌ただしくなって来たので、日帰りである。昼は簡単に済ませるつもりで、修善寺駅のコンビニで買ったカップ麵用に湯を沸かする段になって、たかだか300cc位の水を沸かすのに2リッターのミネラルウオーターの栓を開けてしまうのはもったいないと思い、ペットボトル500ccの麦茶を沸かし、カップ麵に入れてみたところコクが増し、これが想像以上に美味かった。因みにカップ麺は天ぷら蕎麦である。皆様お試しあれ..
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2025/4/13 |
ふじの山 |
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前日の12日、メンテで 安良里 に行ったが、その内容がHPから消えてしまった。このHPは自宅と事務所のPCで作製していて、双方のアップロードの手違いで消えものと思う。明日、修復可能か会社のPCを覗いてみるが、回復出来ない場合には、このままにしておく。(2025.5.11) |
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2025/3/29 |
Marlinspike Seamanship |
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私も齢を経て「晴耕雨読」的な過ごし方がやっと無理なく受け入れることができるようになったみたいだ。朝から冬寒の雨で、船に付いて、今日は考え続けていたので、同日に二度の投稿をすることにする。
「帆船は人間の創造物の中で、もっとも美しく偉大な傑作の一つだ」と賞賛したビクトル・ユゴー、その小説「海の労働者」や「93年」において、彼自身の海に対する憧憬を如実に表しているとされている。
因みに彼の作品「レ・ミゼラブル」を、私は数度読み返し、甥や姪の為にパンの端くれを盗んだ罪でバスティーユ監獄に19年間ものあいだ投獄されたジャンバルジャンの数奇な生涯に涙もした。確か、投獄される前の職業は槙皮(まいはだ)作りの職人との設定であったように記憶する。槙皮は木造帆船にとって必要不可欠な防水対策用の詰め物である。その時代は帆船の時代であった。
15世紀から始まる大航海時代、そして、19世紀のクリッパー・シップで終わる帆船の歴史は、欧米の歴史であり、日本の歴史ではない。現在、Marlinspike Seamanship(マリーンスパイキ シーマンシップ)という考えがあるが、帆船に欠かせない製帆法や結索法はクリッパー・シップのデッキで完成され、まとめ上げられた技術であり、同時に、帆船時代の船乗りに対する畏敬の念であると私は思っている。
今般、日本で使っている帆走・艤装品用語や舫結び等の結索にしろ帆船時代の名残りでないものはない。 |
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2025/3/29 |
ダーウィンとメルビル |
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138億年前のビックバンによりこの宇宙が誕生し、星々が生成消滅を繰り返し、やがて銀河系宇宙ができる。その中の地球は、太陽との距離がほど良く、やがて海ができ、その海に生命が誕生する。やがて進化した生物が陸にまで進出するようになる。それら生物は、常に環境に適応するように変化し続ける。乱暴に言うとそれがダーウインの進化論であると思っている。だが一つ、ダーウインの説明に抜け落ちているものがある。それは、ビックバンの高温高密度の状態から、今、私がこう考えているこの意識が、人類にどのように宿ったかが..?
ダーウインは、若きフィッツロイ艦長率いる軍艦「ビーグル号」の2度目の航海に若い博物学者として参加。1831年から1836年の5年間かけて世界一周しているが、彼は、その帆船での海上生活をこきおろしてもいたようだ。「大多数の船乗りでさえ、ほとんど海そのものを本当に好んでいない。もしも生活上の必要からやむを得ず船に乗っているのでなければ、非常に若い頃には栄光への幻想から、年老いては習慣の力のみが、彼らを海にひきつけている唯一の理由なのだ..」
航海中の船長との確執や、繰返し起きる船酔いがそうさせたのかもしれないが、小説「白鯨」の主人公イシュメルに海に出ることの喜びを言わしめているメルビルとは違い、波や風や、潮騒やうねりを愛することができなかったようである。おそらくメルビルのような形而上的感性は持ち合わせていなかったのではないだろうか。(私の勝手な見方..) |
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2025/3/1 |
今日の私は虫
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暖かさに誘われ、安良里 に行って今、帰って来た。今日は模型ではない本物の船の方である。山桜はまだ早いが、この海の昼間は春本番である。ただ、駿河湾越に見ゆる冠雪残る南アルプスの山々は、まだ、荒々しい冬の装いで、"昼間だけヨットマン"
にとっては春だが、夜通しで動く漁師や船員にとって海はまだまだ冬のそのものなのである。
この海に来て1年になるが、昨年3月末の横浜からの 廻航 では、未明の神子元沖は厳しい冬であった。
今年の二十四節季の「啓蟄」は3月5日だが、過日、このサイトに春になり土から出てくる虫の如く海に現れ、夜になると跡形もなく消え失せる虫同様のヨットマンが云々と記載したが、今日、その虫は私である。
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2025/1/19 |
船底塗装 |
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1月16日に船を上架し、船底塗装 を行った。 |
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2025/1/3 |
箱根駅伝 |
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正月を迎えると箱根駅伝となるが、私が住む住宅のバルコニーから国道1号線を行く選手諸君を往路・復路共に東海道線越しに見ることができ、選手が近づくと取材用ヘリの音が聞こえ、そろそろ選手が通過する頃だと知ることができる。その復路がまた今年もやって来て、今、topの青学が大手町に向け通過して行ったようだ。(私は沿道にも行かずバルコニーにも出ず)
年々齢を重ねると共に、駅伝もだんだんと無関心の一つになりおおせた。つまらないのである。
どの選手も一様に箱根駅伝的優等生らしい受け答えで、皆同じに見える。まさに没個性化で、財務真理教ならぬ箱根真理教である。H監督の指示通りに走らされる4年間を言われるがままに反発もなく送れば監督のお眼鏡に叶い駅伝のメンバーにも選出され、優勝もする。真理教脱退後は、社会が求める優等生らしく安定した企業に就職ができる。若くしてまさに皆大人である..
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2024/12/16 |
帆船模型 |
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私の好きな小説にメルビルの白鯨(モービデック)がある。かなり古いがグレゴリーペック主演で映画化もされている。映画のせいかモービデックに対する偏執狂的な
エイハブ船長 の復讐劇と見る向きも多いと思うが、私には哲学的で、人間の存在の意味や運命、悠久の宇宙(海)を舞台に、感覚を超越した形而上の世界を描いていると思う。
メルビル自身、捕鯨船や商船、アメリカ海軍の船(この時は脱走している)にも乗っていた。ホーン岬海流や風に逆らう西周りで、兄が所有する帆船に乗り、ホーン岬を大西洋側から太平洋へにも抜けていて、世界の海を航海した帆船乗りであった。
そのメルビル描く海の描写は、私にも理解できる。日本沖では、恐らく台風に遭遇したのであろうと思うが、その時の描写など..筆舌に尽くし難いものを、敢えて筆で表すとすれば必然的にオカルティックにならざるを得ないのである。
外洋を航海した事が無い、時化にあった事が無い、ましてや海に出たことも無い、経験はしたが残念ながら何も感じ取ることが出来ない方.. が読めば、"なんだこれ"
と言ったことになるのは当たり前である。そういった方々は、悠久の海を知らず感じずして人生を終えられるが、私には何か片手落ち(差別用語だが敢えて使用)の人生のような気がする。
小説の冒頭、主人公のイシュメルが海に出たくなる理由を述べているが、私が彼に変わって簡潔に言うとするとこういうことではないだろうか、"大自然(海/宇宙)の中に平安を得たい" が為であると.. 「崇高なる無為」
さて主題の件だが、その捕鯨船に積まれている捕鯨ボートの模型を、現在作成中である。所謂帆船模型の中の一つである。作成状況は こちら |
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2024/12/8 |
クリスマス |
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今年も軽佻浮薄の時期到来となる12月に入ったが、まずクリスマスである。言わずもがなキリストの降誕祭である。敬虔なキリスト教徒にとっては重要且つ厳かな日であることは私も理解する。
私が軽薄なクリスマスを意識したのは、死んだ人足稼業の親父が、その日、珍しく背広を着て出掛け、あの赤いクリスマス帽を被って帰って来た。キャバレーに行ったらしく、その親父がお馬鹿に見えたのを記憶する。その粗末なあばら家には親父が神棚を備え、新年を迎えれば近所の神明社から御札を授かり祀っていた。
クリスマスが過ぎ紅白を見た後、曹洞宗大本山の永平寺の除夜の鐘を聞き、百八煩悩を除去する。そして日が変わり新年を迎えれば神道詣でで、一年の無病息災を願う。これが死んだ親父だけでなく一般の市井の徒が行っている新年までの流れである。
私が若いころからクリスマスは既に巷に定着していたイベント事であり、昨今のハロウィーンやバレンタイン等と同列であろう。取り立てて反対する理由もないが、キリスト教・仏教・神道と続く年末からの流れは、宗教というものに関してはあまりにも無節操とも思うのだが..
芥川龍之介が小説「河童」の中でこう言っている。
「最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもその習慣を少しも破らないよう暮らすことである」
ただ、芥川のように社会通念(常識・習慣)のばかばかしさに気づいても敢えて表に出さず暮らす人間と、ばかばかしさにそもそも気付けない人間とは外見は同じだが、生まれて死ぬ一回性の人生、大きな違いがあるのではないだろうか。
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