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2021/12/13
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夜間航行と夜間の出入港 |
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首題の内容の他にヨットマンとヨット業界に対し、今日は嫌味を一言付け加える。まぁここだけの話である。これっきりで、あとは今までと同様に私の胸中に封印するが。
私は、若い時に職業船員だったこともあり、先ず私自身はヨットマンでは無いと申しておきます。なのでヨットマンと言われることも好きではありません。人にヨットに乗っていると話すと、普通は、お金持ちね..
優雅ね.. と言われ、あとは意味不明な薄ら笑いを浮かべられる.. そして話は途切れる。
私も自身が経験したそもそも筆舌に尽くしがたい経験を人に話をしても何も通じないことは十二分に分かっているので、若い時分から海で経験したことはほとんど誰にも話さない。最近はこうしてぶつぶつとここで独り言をいわせてもらっているが。
また、経験の浅い人にありがちな "熱く語る" こんなことも若い時でさえしたことはない。以前に財閥系の不動産会社に在籍していたが、同僚たちも私が海が好きなことは誰も知らず無趣味の奴と思われていたと思う。
昔は、どこのハーバーにも若い人たちで溢れていたが、現在のハーバーには若い人たちが見当たらず私の様なシルバーばかりである。この老人たちがあちらの世界へ旅立ったらと思うと、私でさえヨット業界の行く末を案じざるを得ないのである。初代の
PANTA RHEI を係留していた国内最大規模で洗練されたベイサイドマリーナでさえもその傾向にあったので、恐らく全国どこへ行っても同じだろう。
なぜ若い人がいないのか.. 収入面で若い人は相当きついらしい。だったら金銭的に余裕のあるシルバーが支えてあげれば良いのであるが、どうもそれで解決する問題でもないらしい。海は時化るし、身の危険もある。船酔いもするし、真夏は不快で冬は超寒い。こうしたきついことを今の若者は避けたがるのだろうか。これも違うと私は思う。
どうしてか.. 私は長年日々の趣味としてジョギングを続けて来た。ざっと計算すると三十数年間で凡そ6万キロは走った様だ。お陰で2年前の夏、ジョギング中に突然股関節に激痛がはしり走行困難になってしまい、踵の疲労骨折とアキレス腱炎も相まって、結果、この2年はジョギングを控えざるを得ない状態だったが、ここにきて漸く痛みもひき、昨日は恐る恐る15キロ走って見たが、違和感は多少残るものの少し明るさが見えてきたような気がする。
少しうだうだと書いたが何が言いたいかというと、私が参加していたウルトラマラソンには若者で溢れているのである。 私が出たレースで一番距離があったのがアルプスを一周するレースであるが、距離は100マイル即ち160キロである。こうしたきついレースに嬉々として若者たちが参加している。なので、きついから船には若者が来ないのではなく、ましてや金銭的に余裕がないからでもない。結論は、魅力のある船が無いということです。
今ではすっかり屋形船と化したヨットに魅力などあろうはずは無いのである。年齢を重ねる事で体力が衰え、よって行動力も同様に衰える。そのこと自体は悪いことではない極自然な事であるのだが。若者も居る・中年も居る・年寄も居る・女性も居る活気あるヨット業界..
いつ来るのだろうか。
首題の件だが、先日昔の仲間と話す機会があり、夜航海の話になったので、その続きのつもりで記載する。一日の半分は夜である。ヨットマンの多くは昼間しか走らない..
走れない。それが普通のヨットマンである。そもそも海には夜など存在しないかの如く沈黙を貫いている。ヨット経験何十年の大ベテランであろうが、1日の半分を占める夜の海を知らずして海を知っていると言えるのだろうかと思ったりもしてしまう私であるが..
闇夜は怖いの ?.. 旧約聖書に出てくる預言者ヨナの様に青い海の底で鯨に飲み込まれるかもしれないし、鬼滅の刃の様に鬼が出るかもしれない。でも..
そんなものは出ないのであって、晴れ渡った新月の夜には、満点の星と夜光虫の海が広がっているのだが、もちろん時化もあるが。
商船や漁船等の職業船は、夜間航行をするのは当然で、目的の港や漁場に一刻も早く到達しなければならない。夕方までに港に入り、民宿で風呂に浸かりその後一杯..
とは行かないのである。外洋を渡る外航船と外洋に漁場を求める漁船は、港を一度出れば港への出入港は限られるが、国内の港から港へ物資を運ぶ内航船等の場合は、夜間の航行に加え、夜間の出入港も日常となる。
中緯度北太平洋に位置する日本列島は、次々と通過する低気圧の通り道に当たる。冬場の台湾坊主や春一番、爆弾低気圧や究極のアリューシャン低気圧..
夏以降はフィリピン海を北上し列島に至るスパー台風。この日本近海は世界的に見ても波浪逆巻く海域である。油を流したような穏やかな夜は少なく、時化で防波堤からの返し波や潮流等も相まって複雑に荒れる海面、且つ立標や浮標の灯火も確認しずらい中、潮や風を読み経験と知恵と直覚による"航海術"で、夜間の出入港を繰り返すプロ船員の方々に私は敬意を表したい。
以前、若い時に帆船に乗っていたと記載したが、その当時のキャプテンが内航船上がりの方で、沖縄で台風をやり過せたのも、沖縄や九州等を支障なく航海出来たのも、寡黙だが経験豊富なそのキャプテンによるところが大きい。
ボート免許講習には、夜間航行や夜間出入港に関する実技講習なるものは一切ない。ヨットスクールだとAスクール等が有名だが、こちらも同様だろう。あたかも夜は存在しないかの如くである。恐らくその疑問は十分に感じているかと思うが、教える方も経験が乏しく教えたくても教えられないと言ったところが実情だろう。内航船上がりの教官を揃えた夜間航行スクールでもあればいいのだが..
恐らくペイはしないでしょうね。
以上、今後は嫌味は封印し、ハーバーでは表向きヨットマン面して生きて行こうかと思います。
「都道府県漁業調整規則」というものがあって、遊漁で使用できる漁具・漁法が決められており、神奈川や東京、千葉辺りは大変厳しい内容である。例えばヒコーキ等のトローリングは禁止されております。詳細をご存じでない方も居るかと思うので、資料を添付しておきます。
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2021/12/6 |
冬を迎えて |
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当該船を購入した目的は、外洋を帆走する事。少なくとも沖縄や小笠原まで航海をすることにありますが、今回、事故によるものと思われる右舷側損傷箇所が見つかり、右舷側デッキからの漏水に加え、船体強度の劣化も考えられ、現況のままでは外洋航行に支障をきたすと考えられます。
デッキチークを剥がしての大がかりな補強・補修工事等々.. 思いあぐねておりますが、結論は冬を越しそうです。
尚、我がブロックのシンカー工事も終了し、船は定位置に戻りました。
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2021/10/25 |
右舷ハル補修跡と漏水 |
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右舷側デッキからの漏水が、右舷ハル補修跡と関係があるのか少し調べて、今後どのようなメンテナンスを行うか検討する必要がある。
尚、ハーバー内のシンカー本工事が始まりますが、三週間ほどポンツーンへ移動します。 |
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2021/10/11 |
南房総保田クルージング |
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9日は風が悪く、三浦三崎から保田に行き先を変更し、クルージングを行いました。詳細は後日、クルージングレコードへ掲載します。 |
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2021/9/30 |
台風16号接近 |
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本土直撃は無さそうだが、伊豆諸島が心配である。横浜は、暴風圏にはかかりそうだ。26日にハーバーへ行き、ジブファーラーは下ろし、係留索や隣艇とのもやいも点検をした。今回の台風は、当該地の南側を通るので、反時計回りに東から西寄りに風はシフトするが、ポート側隣のヨット28フィートは、ドジャーがそのまま取り付けられているので、北よりの強風時にドジャーに風がはらみ飛ばされる可能性がある。今週養生された事を望むが..
どこまで勢力を保って房総沖を通過するか分からないが、波高が増しているうえに、通過後の西寄りの風は危険である。例えば、房総半島の南西側で西に開けた港を持つ保田や館山等は要注意である。三浦半島も小網代等半島西側は十分な台風対策を取る必要がある。
いつも三崎マリーンのライブカメラで油壷の様子は好きで見ているが、本日の9時半のライブカメラの映像写真を添付しておく。避難してきた小型漁船で埋め尽くされている。
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2021/9/25 |
座間味島と素潜り |
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まず台風16が発生した。14号と違い勢力を保ったまま素直に北上しそうで、日本本土を直撃する恐れが出てきた。明日、ジブファーラーを下ろしに行く予定である。
座間味の続き..
その当時、仕事上の関係からも素潜りやスキューバダイビングは良く行ったが、圧倒的に素潜りの方が多かった。座間味は横浜より日没が50分程度遅くポイントも目の前だし、素潜りであれば夕方からでも十二分に時間がある。船にはゾデアックのボートが備わっており、フランスの海洋学者クストーも海洋探査で使用していただけに、素潜りやスキューバダイビングにはうってつけのボートである。
素潜りは、シュノーケルとマスクとフィンの三点があれば事足りる。スキューバダイビングにはない身軽さであり、潜って浮いて、潜って浮いて.. ジョギング並みの運動量があり、若かった私には心地よい疲れをもたらしてくれた。そして、サンゴ礁の美しさを知るには素潜りで十分である。
商売を離れてダイビングショップのA氏も良く同行してくれた。彼が知るスポットや未開発のスポットの探査もこのゾデアックが、我々を安全でスピーディーに運んでくれた。安慶名敷島・嘉比島・伊釈加釈島・屋嘉比島・島北西側で女瀬の崎から稲崎等..くまなく潜った。オニヒトデ被害については既に耳にはしていたが、これと言って目の当たりにするようなこともなく、海一面に生きた美しいサンゴ礁が広がっていた。
この時期の後に西表島、石垣島、沖縄本島、小笠原なども潜ったが、座間味の海の美しさは疑問の余地はない。ただし、男性的である小笠原とは海の質が違うような気がする。他で唯一美しいと思ったのが、奄美大島のテーブルサンゴである。大島海峡古仁屋港南東側の加計呂麻島寄りのところで、巨大な群落があり、息を飲む美しさであった。西表島は、大きな川があって透明度は良くないが、生物の密度は高い気がする。いつも同じ場所に大きなナポレオンフィッシュがいて、私を見ると一目散に逃げて行くのであった。石垣島はマンタが売りだが、ダイナミックさには欠ける。本島は都市化され海は荒れ放題であった。
40年以上の歳月が流れた今、海水の異常高温化やオニヒトデの食害によるサンゴの白化現象も頻繁に起こるようになり、その他様々な問題も加わり、今現在、世界的にサンゴ礁は危機的な状況にあるようだ。また、座間味が世界的に名が知れれば知れるほど、熟練度や意識の低いダーイバーも増えサンゴを壊し、且つダイバーが増えればボートダイビングの回数も増え、アンカーリングによってサンゴが壊されていくといった悪循環..
老婆心ながら心配するところである。
また、その当時、オイルボールが座間味のビーチに漂着していて、白いビーチに点々とした黒い模様を描いていた。違和感そのものであった。その頃の日本は高度成長期で、本土向けのオイルタンカーが頻繁に沖縄海域を航行しており、タンカーの空になったタンクをこの海域で洗浄し、結果、オイルボールが漂着したものであると聞いたが、海洋汚染防止法も厳しくなった現在は、この問題は解消されたのだろうか?
ついでに、島民やダイバーを含めた観光客が出すゴミは、私の記憶が正しければ山間にそのまま捨てていて、安護の浦湾あたりからその一部が見えていたように思う。今はどうしているのかな? また昨今、隣国からの漂着ゴミも増えているようなので、美しいサンゴ礁の島もごみ問題は避けて通れない深刻なものではないかと想像するが。
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2021/9/20 |
慶良間諸島 座間味島 |
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このところ逆流性食道炎が少し悪化し、昨夜は酒を止め、船にも行かずに様子見の状態である。夕方ジョギングができればと思うのだが、それまで沖縄の続きを考えてみたいと思う。
慶良間諸島の座間味島は、三年に亘る沖縄時代の原点になる島で、最初に到着した沖縄の地でもある。寒風吹き荒ぶ2月の海を渡って来た者には先ずその温かさである.. 18℃。
そして目を見張ったのが、その海の透明感と、いわゆるコバルトブルーというやつである。今ではケラマブルーと言うらしい。その当時私は、南シナ海・セレベス海・ジャワ海などの南洋海の航海経験も一通りあって、海の美しさは十分に目にしてきたと思うが、それは船上から眺める海で、座間味のこの海辺の美しさは異次元のものであった。
その当時の座間味は、サバニでグルクンやグルクマーを採り、追い込み漁をしたり、カツオを取ってカツオ節にしたり(当時カツオ節工場は残っていたが既に衰退漁業だった)、大潮の干潮の時にはおじーおばーも海に出てタコやサザエを採ったりして、生活と直結していた海だが、内地の人間や言ってみれば世界の人たち誰もが美しいと思う海を、島民も含めて沖縄の人たちは当時まだそれが価値ある美しさだということに気随ている人は少なかったように思う。
当時は、アメリカから沖縄が返還されて数年しかまだ経っていない頃で、ダイビングショップも本土出身で中大出のA氏が経営するショップと、あとK氏のもの位しかまだ無かったのではないかと記憶するが、今やケラマといえば世界に知れたダイビングスポットで、島民自らが経営するダイビングショップも増えたみたいだが、その頃は「うちなーんちゅ」に対し我々を「日本人」という言い方をする人もいた時代であり、島同士の不協和音も聞こえてきたりで、まだまだ今の様な多様性を受け入れる風土環境にはなかったように思う。だからこそ素朴さがまだ残っていた。
沖縄の辺境の島から世界屈指の美しい海を持つ南海のリゾート地に生まれ変わって、リゾートバブルが押し寄せ、島も潤ったことと思うが、島民は何を得何を失ったのであろうか。先駆けとして沖縄返還後いち早くダイビングショップを開いた"日本人"..
A氏の苦労は人知れずあったのではないかと思う次第である。ネットで検索すると座間味のこの変遷を一番知り得るA氏は、まだ座間味でショップを営んでおりました。
よく夜になると島民が泡盛の瑞泉を携えて船に来てくれた。三々五々人々が集まり、我々とA氏を含めた島民との酒盛りが始まるのである。楽しい酒である。みんな穏やかで気のいい人達であった。我々も島民との交流には積極的に参加していて、家や道路等の工事で人手を必要とすると作業に加わったり、座間味小中学校での運動会にも参加したりした。私はこの三年間が終わった後、個人的に二度ほど旅行でこの座間味を訪れたが、この沖縄廻航三年間の初期の座間味で感じたものは既に過去のものであった。
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2021/9/17 |
消失した西ノ湯温泉 |
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グーグルマップで確認したところ温泉らしい構造物がありました。どうやら島民の願いは叶った様です。 |
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2021/9/16 |
沖縄廻航と沿岸航法 |
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前回、沖縄の台風避難について記載したが、その頃の事をあれこれ考えていて、結構面白い体験もしているようなので、幾つか記載してみようと思う。今回は、廻航である。
沖縄本島廻航は往路でざっと約900海里である。西表島も廻航をしたが、こちらは約1200海里となる。本島廻航でも、順調に行っても7日程度は掛かっていたと記憶する。時化で船足が伸びなかったり、荒天で避難をしたりすれば更に日数も延びることになる。また、機帆走が主になるので、燃料補給のため港に入る必要も必ず出てくるが、宮崎県の油津港や屋久島の宮之浦港・奄美大島の古仁屋港等は、途中入港するのに便利な港であった。
沖縄へは計6往復したが、いつの廻航だったか定かでないもののトカラ海域での荒天避難で、口永良部島で投錨をして時化をやり過ごしたときに、どでかいフナ虫がウロチョロしている海際の西ノ湯温泉に入ったことを記憶している。ひげの長い足が沢山ある色の少しうすいクロゴキブリがあちらこちらにいると思えば想像できるかもしれない..鳥肌が立つ人も居るかと思うが、東シナ海お勧めの絶海温泉である。
だが、2018年の台風24号で130年の歴史を持つこの温泉も跡形も無く消失してしまったようであるが、"温泉再建へ島民奮起"
という2018年11月のWeb記事があった。2021年の今、島民の願いは叶ったのであろうか。
航法だが、その当時まだGPS(衛星系電波航法システム)は無かったし、ロランC(地上系電波航法システム)はあったが、船に備わってはいなかった。かと言って六分儀を使って天測をするまでもなく、沿岸伝いに下田・潮岬・足摺岬・都井岬等を確認しながらの沿岸航法で走っており、一部南西諸島を通過する際、島と島の間隔が開く海域は曳航測程儀等を利用した推測航法となる。
多用する航海器具は、クロスベアリングで位置を取るためのハンドコンパスと海図です。あとNHK気象通報をラジオで聞き天気図を作成するのが、廻航中の大事な作業となります。その当時気象通報は、9時10分・16時・22時の3回放送され、その都度天気図を作成し、海況や気象の把握に努めたものですが、2021年の現在は、NHK気象通報も16時の1回となっております。時代の趨勢でしょうか。私は今でも利用し続けているので、寂しい思いがします。
この様に基本は沿岸航法なので、大航海時代と大差ないものですが、予兆を捉え危険を回避する能力.. 即ち直覚的なものも個人差があるが重要な航海パーツである。この辺を合わせて
"航海術" というのかも知れない。この様に沖縄程度であれば何ら支障なく航海をしていました。
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