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  2024/10/14 やっちまったぁー
   泊り掛け二日間のメンテのつもりで、昨日、3時起きで 安良里 に向かい、10時に岸壁からテンダーでパンタレイⅡに着く。気になっていたオーニングの乱れもなく海鳥の糞が所々にある程度である。
 
 隣にYAMAHA製の モーターボート が係留してあった。係留索を見ると仮止めである。最近、新たにマリーナに加わったボートの様である。水面下にデープキールがある当船とほぼフラットな船底のボートでは船の振れ回り方に大きな違いがあり、隣のボートの方が昨日の海風による振れ回りも自由自在というか、大きく、ポート側スターンのガンネルの角が当船にかなり接近する。

 満潮に近く海面が上がっていて係留索がある程度張っていなければならないにも拘わらずその様な状態であるので、干潮時には更に大きく振れ回ることは必然である。マリーナにその旨通知。今日、点検するということである。

 上記を確認し、船内に入る為、オーニングを外し、スライドハッチのキーを開ける段になって、キーが無い事に気づく。バックの中や、もしかしてコックピットのプロパン収納部に予備を入れたかもしれないと思い探すも無いのである。船に入れないエンジンを掛けられない、船に泊まれない。来た意味が全くなくなる。

 やってしまったのである。キーを忘れたのである。実は前回来た時に良性めまい症がかなり強く出て、一泊し、メンテナンスをして帰ったが、めまい症で意識が多少朦朧としていた事が、今回のキー忘れに繋がっているようである。昨日家に戻り、いつもは船に行くときに使っているトートバックを調べたら、鍵等諸々入っていた。

 どうしても溜まっているビルジだけは排出しておきたかったが、コックピットにある手動ビルジポンプに使用するハンドルレバーも船内である。苦肉の末、コックピットロッカーに入っている掃除用具のハンドルを折ってどうにか使用できた。掃除用具はまた買わなければならないが、デッキ掃除と係留索の点検を含め、最低限の事はして来た。

 今も激しくはないが軽い眩暈が起きている。明日、医者へ行くことにする。
     
  2024/9/12 Windjammer
   今日、中華街を通り元町のオフィスに戻る途中、ウインドジャーマー の前を通ったが、今年の1月で51年の歴史にピリオドを打ったと張り紙が出ていた。所謂ジャズラウンジというカクテルバーである。生のジャズが演奏されていて、割合私も好きな店であった。
 
 私がこの店と出会ったのが二十歳の時で、慶応ボーイで私と同い年の奴に誘われ、その従妹の姉と妹で来たように記憶する。因みに妹の方は超美人だったが、私と同い年の姉の方が私は好みであった。もう少し私が積極的だったら、良い関係になっていたかと思う。若かりし頃の少しほろ苦い一夏の想い出である。

 因みに「windjammer」とはシップ型の横帆船のことである。 
     
  2024/8/25  風速と風圧
   風速が上がれば風圧は増す。運動エネルギーは速度の2乗に比例する。よって風速が2倍になれば4倍のエネルギーを持つが、4倍というよりも2倍の2乗となり、風速が3倍になれば3倍の2乗で9倍となる。

 例えば5メートルの風でそのヨットが適度のヒール状態を保って海面を快適に走るとし、10メートルの風になった場合に、5メートルの時と同じ状態で走らせるには、セールエリアを四分の一に宿帆する必要がある。15メートルに風が上がった場合には九分の一だ。

 PANTA RHEIⅡではメインセール・ヤンキージブ・ステイセイルの合計39.5㎡を基本とし、前述の割合に応じ、予測される風に備えている。(波や潮流等、その時々の空気密度等は除外して考えた大雑把なものである)

 さて、また台風であるが、たまたま東へ逸れた7号とは違い、日本列島を縦断しそうな勢いである。プレジャーボートなら海に出なければそれでいいだけの話だが、商船等の場合にはそうはいかない。ギリギリまで運行は続ける。そのころ合いを見極めるのが、プロの職業船員である。ご安航を祈る。10号の動き注視したい。

 この盆休みは "小林秀雄" 三昧であった。何度読み返しても分からないが、また読みたくなるから不思議である。彼の講演集の中で、七十二歳の時の「信じることと知ること」を読み返した。江戸時代の優れた寺子屋の学習法に従って、あと百回程度 "素読" でもすれば分かるのかも知れない。

 あのスプーン曲げのユリ・ゲラーから始まって、フランスのノーベル学者ベルクソン、日本の官僚にして民俗学者の柳田國男に至り、「故郷七十年」という本を読んで、柳田さんの感受性に感動したと言い、心理学も、 "唯物論の上に立った自然科学の方法だけを頼んで人間の心を扱う道はうまくいかなかった" とも言う。また、インテリ等に対しては、"若干のフィリステル(俗物・無教養・実利主義)は、悟りもしないが迷いもない" と痛烈である。いわゆるインテリと謂われるその当時の知識層に彼は親近感がわかなかった様である。
     
  2024/8/15  東京湾内危うし
    どうやら7 号の上陸は避けられそうだが、16日の東京湾は、25m/sec 以上の暴風域に入りそうである。海上保安庁から14日付けで勧告(第二警戒体制、入港制限及び錨泊自粛)が出ている。私にもメールが届いた。

 Windy の予想の様に東京湾の最奥部から吹き募る暴風となりそうである。当然に波の影響も大きくなる。東京湾内の大小の一般商船等も今頃荒天準備に追われていると思うが、被害の無き様昨日に続き願うだけである。

 心配なのが過去に初代 PANTA RHEI を係留していた ベイサイドマリーナ である。その当時も北東の風が比較的長く吹くと風というよりも波による影響があった。この3月まで係留していた 横浜市民ヨットハーバー は、恐らく大丈夫かと思う。市民ヨットハーバーは、今日、台風養生をしているはずである。ベイサイドマリーナの無事を祈る。

 このところ治まっていた 「良性発作性頭位めまい症」 が再発した。対処療法ではなく、根本治療は無いものだろうか..?
     
  2024/8/14 台風7号
    台風7 号(アンピル)が強い勢力で、16日金曜日の午前中には関東に接近または上陸しそうである。中心が横浜の東を通れば風は東寄りから反時計廻りに変化する。海はうねり大時化になる。上陸し、中心の右範囲に入らないことを願う。

 安良里の我が船に関しては台風養生はしっかりとしてある。

 Windy(16日予想) 油壷(15日漁船避難状況)
 
     
  2024/8/12 トリプル台風
    まず、日航機123便が御巣鷹山に墜落し、520名の方が亡くなられてから今日で39年が経った。ご冥福をお祈りします。

 連日の猛暑で、日本の南海上も当然として海水温は上がり、熱帯擾乱が次々に発生していて、いつ台風になってもおかしくはない。7号が発生すればトリプルとなる。

 気を付けなければならないのが、勢力はそれほどでなくても、発生してから近づくまでの時間があまり無いことである。気が付いたら台風の只中にいることにならないよう注意が必要である。那智勝浦航は中止とした。
     
  2024/8/7 私には見えた123便
   8月のこの時期、広島・長崎に加え終戦の日を迎えるが、私にとってもう一つ、強烈に印象が残る出来事がある。1985年8月12日に日本航空123便が墜落し、520名の方が亡くなった事故(事件・陰謀論?)である。

 39年前の8月12日には数人の仲間と伊豆諸島へのクルーズを行っていて、丁度、大島波浮港の 岸壁 で夕餉の時間を迎えていた時である。暮れなずむ時間帯であったが、上空はまだ日中の明るさが残っていた。その時の事は 三宅島クルージング に記載した通りである。

 最近、日本航空123便墜落が事故ではなく事件(陰謀論)だったと一部のネット世界では騒がれている様であるが、事件・事故、そのことよりも私が無意識のうちに全身全霊を以て知覚したと思われる不思議についてである。

 事故調査報告書による 飛行ルート によると、私が日本航空123便と思われる飛行機を見た時刻には、伊豆大島北側の相模湾上空を飛んでいたことになるので、事故調査報告に嘘や間違いがなければ、一般常識的に見て、私は123便を見ることなど出来ないはずである。

 しかし間違いなく私は "直接" にこの目で見たのである。波浮港上を低空で飛ぶ123便を.. 鵯のピイッと鳴く声で我に返った柳田國男や蛍となった亡きおっかさんと邂逅した小林秀雄の様にスピリチュアルティを私は感ずる。
     
  2024/8/4 足が遠のく中華街
   元町に事務所を構えて25年程になるが、当初数年間は、隣町「中華街」のランチを食べ歩き、Webに掲載していた。150店舗位までいったのを記憶している。だがしかし、最近はごくたまに行く程度になった。今では、その当時の店も随分と代替わりが進んでいる。

 足が遠のいた原因は色々ある。食の安全・嫌悪感・飽き・雑踏等.. きりがないが、主に「食の安全」と「嫌悪感」である。

 一般店のランチを食べ歩いていた当時、食後に後味が悪くなることが多々あり、また、口腔にシビレに似たものが残るような時もあった。今日の店はそうなった。今日の店はそうならないとそういう評価の仕方をしたものである。恐らく化学調味料?の使用不使用、その加減かと思うが、他にも..

 その頃、中国本土での「段ボール肉まん」や「排水口油」等の報道があり、当然として横浜中華街も食材を中国本土からも仕入れているようなので、隣国中国だけの問題では無いと思い、その辺りからランチの食べ歩きや、私が家で中華するときの食材として良く買っていた大好きな乾燥海老や調味料等を含む食材の購入も、一切止めたのである。

 国家や民も、虚偽と邪念の不純な技巧に走り過ぎた結果かと思うが、中国が凋落し始めた。ネットをすべて信用している訳ではないが、YouTube等を見ると、デフレが進み食べ放題の安い店が繁盛しているようである。その焼き肉店が提供する肉は牛や豚の肉ではなく、ミルクティのミルクは牛のミルクでもなく、ふかヒレやスープも主に科学的に作られたものらしい。申しておくが、中華街と中国を強引に結び付けるつもりはない。

 高校生の時に、一流店の重慶飯店でひと夏、ランチ時のみバイトをしたことがあり、店を開ける前にその日出すランチを毎日食べさせて頂いた。その中で「炒茄子」の美味しさが忘れられない。本物の店の本物の味である。当然として、私がランチを食べ歩いた前述のような一般店ばかりでなく、食材も厳選し、調理人も一流の本物の店も数多ある。また、日本に長くお住まいの華僑の方たちの考え方や習慣は、日本人の我々と何ら変わる事はないのである。

 「嫌悪感」、これを言い出したらきりがない。数多あり、ここには多過ぎて書き込めない。こんなこともあった。あんなこともあったと、聞いて頂ければ話は出来るが。
     
  2024/8/1 超熱帯夜の船内
   昨夜は、船に一泊した。西伊豆の気温は横浜よりは一般的に2~3度低い様であるが、31日の夕方に船に着いたが、閉め切っていた船内は40℃処では無かったかもしれない。

 湿度も高く、且つ無風状態で、夜を迎えても船内の温度は一向に下がらない。エアコンや扇風機もない船内は危険な暑さである。首筋から汗が滴り落ち食欲もなく、酒を飲む気力もわかずに、船内よりは幾らか気温が低いデッキで横になるも熟睡など出来る訳も無く、やがて夜露が心配になり、船内に入りバースで横になってもすぐ身体に熱がこもってくる。熱中症が心配になり、また、デッキで横になる。その繰り返しの一晩であった。船には暑さが付きもので、まあ、これが船であるのだが..

 夜が明けて、太陽が安良里の入り江を容赦なく熾烈に照らす前の6時台に帰路につく。 当日の安良里

 盆中の南紀クルーズは、暑さがこの調子なら、計画を見直すかもしれない。隣の30フィートの 「あぶさんむ」 は九州クルーズから戻ってこられた様である。

 因みに、夜30℃以上を 「超熱帯夜」 、日中40℃以上を 「酷暑日」 と気象庁が命名したそうである。
     
  2024/7/16 サムネイル
   暑く且つ曇天で、船へ行く気も削がれる。船の点検もあるし、船用に 小型自転車 を購入したので、積み込みたいと思うものの船に足が向かわず 「海の日」 を含めた3連休は、ジョギングとYouTube に掲載している動画の サムネイル の加工に費やした。

 YouTube:@ryoichimaruyama2204

 最近目にするヨットやサップ・カヤック等のチャンネルは、天気も良く海も穏やかで、海上をスイスイと走り、美味しそうな食事に缶ビール.. やたら楽しそうであるが、実際の海は厳しい。遭難のリスクから離れられないし、たおやかな時間も瞬時に去って行く。かようなチャンネルが、経験の乏しい方々へ間違ったメッセージとなり、安易に海に出てしまわないか老婆心ながら危ぶむ。
     
  2024/7/7 モーム
   七夕の今日は、猛暑! 外に出る気がしないので、ネットを見ていたら、日本の人気書籍ランキング(2024.6)にたどり着いた。

 ランキングによると 「東野圭吾・宮部みゆき・村上春樹」 が上位3名とのこと。昔、ノルウェーの森は読んだことがあるがすっかりあらすじは忘れた。東野圭吾と宮部みゆきに至っては何という題名の本を読んだのかも思い出せない。

 梅雨の頃と言うと私には、サマセット・モームの南海ものと言われる 短編 「雨・赤毛」 が思い出される。

 「雨」 は、布教に熱心なあまり押し付けがましく高圧的な "善" の「宣教師」 に対し、 "悪" の 「春を売る女」 との善悪の闘いである。最後に劇的なオチで終わる。

 「赤毛」 は、絶世の美男美女の愛から始まる物語で、モームはその若い美男美女を 「いわば姿のよい動物の美しさであり、からっぽなのだ」 とする。また、別のモームの随筆的著書 「サミング・アップ」 の中でも愛について 「愛が生殖腺のある分泌に根拠を持つことは絶対に疑いの余地がない」 とも言っている。生涯独身を貫いたモームらしい覚めた見方である。若い男女間の性愛に関しては、まぁ私も同感であるのだが..
     
  2024/6/23 単独航
   私は、少年の頃から集団が苦手であった。子供の時であるので、明確な意思を以てでは無いけれどもそういう傾向の子供であった。歳を重ねた現在、かなり明確な意思を以て集団とは距離を置いている。

 船以外の週末の過ごし方として、ジョギングをしている。昨日も家を出て、16号を北上し、環状2号線に入り、日野で上大岡方面へ左折する。あとは大岡川添いを進むイメージでMM地区に入り、臨港パークを通って帰って来た。その間に3組のジョギングの群れ(そう形容する)に遇う。

 特にMM地区にはそうした群れが多い。ジョギングはまさに個々のスポーツだと思うし、それぞれのレベルもありスピードにも違いがあるはずなのだが.. ジョギングも群れないと出来ないのかと思ってしまう。私と同じ爺婆のほかに若い男女もその群れには居る。婚活なの.. よく分からない?

 当該船に戻るが、まずデーセーリングの場合は群れても構わない。和気あいあいと楽しいひと時を過ごせば良い。ただ昼夜を問わずに数日間以上航行する場合、狭い船内では人が操船の邪魔になるし、何よりも守ってあげられない。私も自分を守るのに精一杯である。ただし海に対する知見や経験もあり且つ屈強な方なら乗船し、私を守って欲しいとは思うが、そんな殊勝な方はまず居ないので、どうしても単独航になる。
     
  2024/6/21 恐怖と安堵
   前回、全身全霊をもって挑まざるを得なかった 大阪廻航 に少し触れたが、私の経験から敢えて海をひと言で形容するなら "恐怖と安堵" ということになる。恐怖時の拷問とさえ思えるような緊迫感から解放され、安堵し.. それも束の間、また襲ってくる恐怖.. そして安堵.. 
     
  2024/6/18 旧艇の復元力
   旧艇は "シングルハンドで外洋航行が可能" と謳う。 俊敏な船であることは確かであり、追手で10m程度の風が吹けば艇速は10ノットを超える。2015年の 三宅島 の帰り、観音崎を交した猿島沖でGPSの対地速度が15ノットを記録した。観音崎付近なので、潮流が加わっている可能性もあるのだが..

 第一回目の 大阪廻航 の時に 熊野灘沖南南西の風 が強まり、日付が変わる頃から太陽が昇り日が高くなるまでずーっとティラーを握り続け、GPSの対地速度を確認する余裕も無かったが、猿島沖より更に艇速が出ていた可能性がある。(ティラーから手を離せず小水も出来ずにそのまま漏らしてしまおうかと思った程である.. その小水どうしたか記憶にない)

 ブローチング という切迫した危機、まさに海との格闘だった。体力の限り、また睡魔と闘いながら夜通しティラーを握り続けた。

 同じ風速でも、冒頭の三浦半島越しに吹く時に猿島沖で立つ波と、広漠のひろがりを持つ大海から吹き募る時に立つ波とは大きく違う。後者はうねりを伴い凶暴さが加わる。

 添付図 を見て欲しい、現艇と旧艇の船底形状である。(マンガに付きご容赦願う)現艇はV型、旧艇は平型である。追手の風の場合、軽排水量の旧艇は波に突き上げられ波の頂上を滑走するのである。

 船が転覆した時の復元力であるが、一般的にノックダウンが起き船が90度以上傾くことは東京内湾などを走っている時にはほぼ起こらないと思うが、外洋では追手の大波によるブローチングでノックダウンもしくは転覆状態になることもある。特に旧艇の船体形状では..

 そうなっても元の状態に戻れば良いのであるが、旧艇の場合、平型で初期復元力は高いものの180度ひっくり返った転覆状態になった場合、元の正立状態に戻る可能性は低いものと思う。 "シングルハンドで外洋航行が可能" 疑問符が付く?
     
  2024/6/11 琥珀の輝き
   前回 PANTA RHEI Ⅱ のメンテについて記載したが、若かりし頃イギリス製のガフリグケッチの縦帆船に乗っていた。ゴルフ場経営企業が所有する帆船を、西武系の某大手企業が傭船し、地中海やカリブ海で成り立っているチャーターヨット事業を日本で行うというものである。私はその某大手企業から委託された運航会社に所属し、その帆船の運航全般を他の先輩達と共に担っていて、顧客を対象にしたセーリングやクルージングが無い空いた日は全てメンテナンスである。

 メンテもシュラウドやラットライン等の索具の交換や点検等にも時間は費やしたが、天気の良い日は多くの時間をニス塗りに充てていた。チーク材が主な木造帆船であるためニス塗りの部分が多く、ハルとチークデッキ以外はほぼ全てニス塗である。ドックハウスや両弦船首から船尾までのブルワーク、ギャレーハッチ、メインマストやミズンマストにガフ、舵輪、バウスピリットに至るまでニス塗装である。

 そのニスは、ニュージーランドのエピグラス社製で一液式のワニスを繰り返し塗っていた。天然樹脂の透明なワニスを重ね塗りし厚みが出てくると光沢ある塗装面になり、感触も見た目も柔らかく琥珀の輝きになる。美しい船であった。